昔々あるところに綺麗な湧水の溢れる集落がありました。住民は時に暮らしに直結する水辺を維持するため、時に仲間の困りごと祝いごとを分かち合うため、太陽を頼りに誰かのために時間を過ごしていました。
時期が来れば五穀豊穣や家内安全のために集落を2つに分けて綱を結い雄綱と雌綱を引き合う祭祀をしています。
あわせて、そこには地域に住まう若い世代が時より集っていました。先祖を供養するために。あの世でも変わらず暮らしてもらうために。南にある集落から技術を教わり思いを積み重ね、自分達の型というものを作っていきました。この型はまた別の集落にも影響を与え、今に至っているそうです。
時代の流れと共に世の中は「誰かのためにではなく自分のため」が優先されるようになってしまいました。これは悪いことではないです。文明が進化すれば生活も変わります。時間の使い方も変わります。考え方も変わります。
生活のなかに当たり前にあったものが自分ではどうしようもできない時代の流れによって当たり前ではなくなりつつあります。そんななか長年継続できていることを関係者は誇りを持った方がいいです。自信に変えた方がいいです。
市にはもっと評価してほしいと思っている。亡くなった偉人の功績を讃えるのもいいが、今なお続くお家芸と言っても過言じゃない取り組みを支援してほしい。可能であれば対策も講じてほしいくらいです。
文化をやめるのは簡単ですが再出発はなかなか難しいです。途絶えた段階で文化ではなくなります。だからこそ思いを持つ人間がゼロになるまでは例え下火になったとしても続けてほしいと願っています。
「あの頃はもっと華やかだった」「豪華だった」とよく聞きます。当たり前です。人数が違います。それだけ思いの大きさも違います。
でもひょっとしたら今の人たちの方が人が多い時代より思いが強いんじゃないかと感じます。理由は「あって当たり前と、なくなっても仕方ない」の狭間にいるからです。だからこそ頑張ってほしい。
残り3日です。よろしくお願いします。
大里青年会のプロジェクトページ
「大里エイサー」40年目の節目!PR映像を制作し若い世代に繋げていきたい。
https://faavo.jp/naha/project/3949